アラーキーを告発したKaoRiさんに少々違和感その2【#me too】

ニュース
スポンサーリンク

同じタイトルで書いた前回よりさらに書きたいことが出てきました。

事実のみを伝える

前回の繰り返しになりますが起こった事実のみを感情交えずに淡々と書いた方がコトの真相が伝わると思います。警察の調書とか裁判の事件記録みたいになってしまって本人辛いかもしれないけどこういうときはその覚悟が必要だと思います。

感情をメインに記述して起こった事実はあいまいな表現で「察してほしい」というのはこういうときには読み手を惑わせます。ちなみにKaoRiさんの「その知識、本当に正しいですか?」の内容は外国語に訳してストレートに通じるんですかね?特に欧米の人々はどう読むのだろう?

矛盾してるように読める

わたしは2001年から2016年まで荒木氏のモデルを務めていました。その間、私たちの関係は、完全に写真家とモデルで、恋人関係ではありませんでした。

それで、どんどん仲が深まって、言い出せない関係にまで発展してしまったのが最大の過ちでした。忖度して自分を犠牲にし過ぎてしまった。

これどちらも本文からなのですがどう理解すれば良いのか分かりません。私が単なるバカなのか。

「私写真」の世界

撮って欲しいと集まってきた女性をギャラも払わず都合の良いように撮る「私写真」はアラーキーの一手法であり既にそれは分かっていた訳ではなかったのでしょうか?そもそもが「捨てられた」と書いてますけどアラーキーは拾ったつもりもないのかもしれないです(大変失礼ですが)。

「ギャラを出さなくても撮ってあげれば喜ぶ都合の良い人間」そんな感じだったのではないでしょうか?そしてそういう人たちが周囲に少なからずいたのでは?アラーキーはそれで味を覚えてしまった。

あえて目を逸らしてなかったか?

ギャラをきちんと決める交渉を求めたら嫌われてしまうんじゃないかと思ってあえて逃げていなかったでしょうか?そもそもギャラを求めていたら撮られてなかった可能性もあるわけです。それを恐れていたのではないでしょうか?「ギャラ無しでも撮ってほしい!」その感情を優先して肝心なことから逃げてなかったでしょうか?

そして撮られることの快感に溺れていなかったでしょうか?アラーキーは多分そういう感情まで見抜いていると思います。「ある種の人達は撮られることに異常なまでに快感を感じている」ってことを。

人に見られてなんぼの世界

「晒された」みたいに書いてますが芸能活動ってそもそもそういうものじゃないのでしょうか?イヤなら地味に事務職でもやってれば良かったんです。表舞台には立ちたいけど芸能関係にありがちな過激な使われ方は嫌だ。それは難しいのではないかと思います。

とても魅力的な人で頻繁にスカウトされるけど頑なに芸能界には入らない人ってたくさんいると思います。そういう事情を分かってるから入らないのでしょう。

契約してないのは致命的

これも前回の繰り返しになりますがやはりそれで全ての話が終わってしまうぐらい重要だと思います。私も含めて「だって契約してないんでしょ?」で話を終わらせる人も多いのではないでしょうか。そしてギャラ交渉して断られたら篠山紀信でも加納典明でも他の人のところに行ってみれば良かったんです。

そこでも断られれば諦めが付いたかもしれないしこんなことにはなってないでしょう。昔はそんな雰囲気ではなかったという話もありますがそれでも一度でもそういうことがあれば理解は出来たはずです。15年間それに気が付かなかったわけではないでしょう。

楽しい時間もあった?

そして日常生活もまんざらではなく実は楽しい時間もあったのではないかと推測します。嫌で嫌で仕方ないだけの人とそうそう長い時間いられるものではないからです。真っ先に心身が反応してしまい一緒に仕事すら出来るはずがないと思います。そうでないと15年を説明するのは難しいです。

まとめ

私はアラーキーの側に一方的に付こうということは全くなく個人的にはアラーキーに対して「そんなことしちゃダメでしょ」と思うもののKaoRiさんの脇が甘すぎてどうしても突っ込みを入れてしまいます。

何でもっと早く他の人生を選択することが出来なかったのかと非常に残念な思いです。最近はこういう「なし崩し的に撮影」みたいな風潮を極力なくそうと言う動きが活発になってきているようで良い傾向ですね。

スポンサーリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました